こんにちは。5月も中旬に差し掛かり、実験の研究室なのに教科書を読み続けている生活に不安もよぎってきました。(自分から行かなきゃダメだったやつか……?)卒研テーマはそろそろ決まるようです。トピックも漁り切れてねぇ、、
自分は大学の物理学科に進んだんですけど、大学に進んだ理由はそこそこ勉強ができた&経済的な困窮を感じていなかった&周りに行く人が多かったくらいで、掘り下げることもないのですが、物理学科に進んだ理由は全ての問題を素粒子に帰す(なぜなら物質は素粒子でできているのだから!)物理帝国主義への憧れなんですよね。最終的に素粒子に分割される世界という入れ物は物理だし、思考や心だって化学物質の移動だと思えば物理だし、生命だって重分子の複雑な相互作用が担っていると思えば物理だし。そんな物理で神秘に触れてみたいと思ったわけです。
んで、今の研究室は主に、ミリ秒で壊れてしまうような不安定な原子核の性質を解き明かそうとしています。世界の駆動力の一端を担っている神秘ではあります。こばし自身、探索すること自体は魅力的です。でもあるひとは言うでしょう。「それってなんの意味があるの?」ここではそれを考えたいです。つまり、産業応用の利かないように見える物理現象の探索を、社会の構成員が行うことを正当化したいってことです。言葉に詰まってはいけません。悔しいので。
まず、知的好奇心に訴えることは間違っていると思います。あるものに、興味を抱くものがいれば全く興味を示さないものもいる。当然のことだと思うし、興味ないから支援しないと公表しておきながら内心興味を持っているというような人間を弾けないロジックは弱い。
産業応用ではない形で、万人の生活のベースにアクセスできるもの。そういえばこばしの物理への憧れは最初、全てを説明できることでした。全てを説明できる最強理論ができるなら、これは需要があるに違いない。興味とかそういう次元を超えて大きなインパクトを起こせる。で、最強理論に矛盾は許されず、どんな極限状態にも耐えうるべきだし、そこに至って初めて見えてくる効果もあるでしょう。そう、極限状態は最強理論を通して世界の輪郭を浮き上がらせる。
世界の輪郭を見ているんだといえば聞こえは良いでしょうか。世界の形を完全に†掌握†したとき、人間は全てを自由自在に扱えるようになれる。基礎研究は一周すれば応用研究なのではないだろうか。役に立つ度のウルボロスの蛇(ちょっとダサい)。それでも、輪郭の一部を浮かび上がらせることが巨額の富と時間、才能を注ぎ込むことの正当性足り得るかどうかは疑問ですが……。他の職種がなんで「子供の頃からの憧れで~」って理由で賞賛されるのかをまず考えてみても良さそうですね。今度はそれで筆を起こそうと思います。